井上義衍老師語録と書籍案内

坐禅によって救われること by 井上義衍老師

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禅ーもう迷うことはない(光雲社1999年)

2018年3月16日 このサイトで以前より、光雲社1999年刊行の単行本『禅ーもう迷うことはない』は龍泉寺発行の『迷いと悟り』と同じと表示していましたが、それは、『玄魯隨問記(井上義衍老師問答集)』と同じ内容の間違いでございました。ここに訂正し、お詫び申しあげます。絶版『禅ーもう迷うことはない』をお探しの方は、龍泉寺発行の『玄魯隨問記(井上義衍老師問答集)』を下記からお求め下さい。

書籍内容については、このページ下の方に紹介があります。

井上義衍老師との問答集

問 坐禅によって自己の問題を本当に解決された方は、これまで実際に居られたのですか。

義衍老師:先ず第一に、私が居ります。釈尊や道元禅師など祖師方もそうでしたが、私自身それをやりました。やれたんです。私のもとにも何人かいます。決して独りよがりではない。釈尊から連綿として受け継がれて、現在に至っておるんです。

正師(しょうし)でなければ、師事してはいけない

問65『学道用心集』に『正師を得ずんば、学ばざるに如(しか)ず』とありますが、その場合の正師とはどういう人ですか。

義衍老師:今話しているように、正師というのは本当に自分の真相に徹しきって、死んで生まれ変わってきた人です。

 それはどういうことかといいますと、今までこれ(身)を自我心であると思うとったんです。

ところが一遍本当に自我心が死んでしまってみるというと、法として存在しているのです。だから法に近づこうと思うとったものが、百八十度ひっくり返って、そうじゃないのです。近づく要はないのです。

全部法で出来ておったことを自覚したんです。

そういうような人が正師といわれる人です。それだから只管ということも出てくるのです。

 それから、非思量、不思量底を思量するような方法を本当に知っている、それを使い得る人、そういう人たちがやはり正師といわれる所以です。それじゃから眼(まなこ)の開いた人、仏知見が開いた人です。仏と変わらない知見の開けた人です。

 仏知見を開くというと、仏いうものだから何か特殊なもののように思うんですわ。そうじゃないんです。「本来の面目」というと、「ああそうか」というて、誰もが承知するんです。面白いですね。

 「本来の面目を知るんじゃ」というたら、「ああそれはそうじゃろう」という。ところが、「仏知見を開くんじゃ」というと、「ナニッ、釈尊と同じようなことをやれるなんて、とんでもない」というて怒る人がいる。そういうふうに、言葉の文(あや)によって間違わにゃならんほど、もう根底がわからんのです。

言葉を弄(もてあそ)んでいる人はそうなんです。

 そういうようなのとは本当に違う。正師というのは間違いなくキチッとしているのです。



問66 なぜ正師を求める必要があるのですか。

義衍老師:正師というのは、本当に自己の真相に徹しきった人で、そういうことがはっきりしている人でなかったら、最終的にどこへ連れて行ったら良いのか、結論としてどうあったら良いのかということが絶対にわからんのですわ。

そうでしょう、教えられて、それらしいことをやっても、それらしく立派にできるようになったとしても、やれるのはやれるんじゃが、これで本当に良いのかとなる。

 昔の人にもありますように、提唱させても、それを取り扱わせても、自由に取り扱うのだけれども、どうもどこか満足の行かん、どうして満足が行かんのかという人がいます。

そういうような人が出てきたら、皆をどこへ連れて行って、どうしたら決着がつくのかということがわからんでしょう。それじゃ救いにはならんのでしょう、本当はね。そういうところに、どうしても正師を求めなければならん理由があるのです。

 それがないと、途中で妥協するんです。そうでしょう、このように十人が十人寄ってそのことを互いにこうやって、ある程度まで来ても、もう不自由なく、人が見ても自分が見ても法のごとくやれて、そして淡々としておるようだが、ただどこか疑いの拭いきれないものが兎の毛ほどでもあると、それだけ違ってくる。


 そういったところで、「ナニどうせ人間だもの、こんなものじゃないか」というて妥協する。もうそうなったら、今度は次の人をこしらえる時分に、「人間の修行いうものは、悟ったというても、大体ここら以外には手が付けられんのが本当じゃないかなぁ」というて、不安の内に終わる道なんです。決定的に、「こうじゃっ」と言い切れないのです。そういう哀れさがあるから、それをしっかり救わにゃならんということですね。

 じゃけれども、ここで問題はね、皆そういう人になれば良いんじゃけれども、皆そうなって欲しいけれども、そうばかりは行かんところがある。そうでしょう、いろんな条件によりますからね。やれば出来るということは決っておっても、その中で全部の人が全部、短時間にスカッと皆行くということは決っていないのです。

 それだから、きちんとした人が居って、それの言うことが中心になって、それに準じて行っておると、途中におる人も、「やはりまだ私もそこまで行かんのじゃ」ということがわかるから、そして最後は行くべきもの、こうあるべきものということがわかるから、そういう標準はどうしても仏法の中になければいかんのです。

 それがなければ、本当に追及してくる人があった時分に、始末がつかんのです。そうでしょう、行いも何もかにもみな出来た。出来たんだけれども、「どーも?」というて首をひねる人が出てきた時分に、手が付けられんでしょう。

そうすると、生命を失うところがある。そうでしょう。それは当たり前です。そんなことで本当に満足の出来るわけはないというところがあるから、ちゃんと指摘してあげれば良いのです。それが出来るのです。またそれをやらにゃいかんのです。

 だけどまあ時間をかけて、やって、それに近いとか近くないとかいうことは、それはもう途中辺の事(じ)だけれども、仏法の中にそういうふうにきちんとしたものが絶対にあるということだけは決っておるのです。

 その証拠は、道元禅師があんなに立派な力をもって、国内で修行しきって、誰が見ても「イヤー、素晴らしい」と言われるほどの人で、それが自分で疑問が起きてきて、その疑問に解決付ける道を誰に聞いてみても、「イヤー、それは難しい話だよ」いうて、皆終わっちゃったんです。「それじゃ難しくてもいいが、それはどういうことなのか」と聞いても、それをはっきり教える人がなかったんです。

 それでたまたま今の中国へ行って、如浄禅師にお会いして、それをはっきりしてくれたのです。それがなかったら、おそらく道元禅師でも救われなかったんです。それがはっきりしておるから救われた。
それで『坐禅箴』なども出来たのです。坐禅の誤りとしての様子があるから、それをはっきりしなければいけませんよ、ということがあったのです。

御自分に。御自分が散々な目に合わされたからです。

 

以上、『玄魯隨問記(井上義衍老師問答集)』(龍泉寺発行)より

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井上義衍老師の貴重なる法話は200巻のテープ(すべてCD化もされている)に収められているが、その中から、修行の要点を選りすぐり、180日歳月を要してできた井上義衍老師語録の粋!

それが、2014年3月2日刊行の

『井上義衍老師語録』

 「これ一冊で修行の要点がわかります」―井上哲玄老師

 

文字も大きく、かばんに忍ばせることのできる文庫本サイズ 271ページ

値段は、自費出版の為、3,000円

https://ssl.form-mailer.jp/fms/9f80d2ea289099

からお申込み下さい

このページの下部に井上義衍老師の他の本のタイトルも書いていますので、追加でお申込み下さい。


 

お薦めは坐禅の仕方を井上義衍老師が懇切丁寧に説かれている

『普勧坐禅儀・坐禅用心記提唱録』3,000円 です

 

NHK宗教の時間のDVDは、井上義衍老師出演のものは5,000円です

井上義衍老師語録 抜粋

井上義衍老師NHK

●釈迦が脱落せられた時に始めて仏法は生まれたんです。

●本当に徹する時分には、自分も環境も、何も彼にもみな忘じてしまって更に見るべきものは何もないところまでゆかんと、実相としての、法の真諦(しんたい)としてのものに徹することはできないものです。

●人間の知覚とか、認識とかが間にさしはさまるものですから、そのために真実というものを分断するのです。

●「仏法に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺す」いつでも、すぐにものと自分とが一如になって、いつでも死んでいるんです。どんなものだって、みんな、そのものに同化されてしまっておる、その形容です。

●正受(しょうじゅ)とは、その通りにあるということです。

●修行する以前から、みんな身に備わっておるのが「道」なんです。

●向かおうとするだけ余分だった。そういうことがはっきりすればよい。


●「分からない」ということと「得ました」ということと、どちらもその程度です。同じことです。同罪です。喜んだり、悲しんだりする気配がどうしても残っているんです。その両者がコロツとない。帰家穏座(きかおんざ)です。

●人間が理想を画(えが)いていると、いかにも立派そうなんですけれども、それが迷いの根源なんです。それを人類ことごとく知らんのです。

●人間の考え方が、どんなに立派な考えでも、それは、その人間、その人の考え方なんです。

●当てにならんものを当てにするから、それで苦労するんです。

●地球上にある、すべての問題は人間が作った。ゆえに人間が解決できないことはない。

●出てくる思いは、全部使える人になればよい。



新着 

死に切る

熱いものに直接ぶつかった(触れた)のと、常識的にそれに触れると熱いということとは違うんです。

直接ぶつかったときには、人もものも死んでしまうところがある。


死んでいるところにある熱さと、人間が、あらかじ予め心で用意して、火の中に手を突っ込んで、これが本当か、あれが本当かと探りをいれたのとは違うんです。


人間の見解じゃないんです。実物は。


本当のことを知りたかったら、そういう人間的に真面目そうな考えをもってやっても駄目ですよ。

そういう範囲のものじゃないんです。

本当に人法ともに絶滅しきって初めて得られるものです。


思いをもって(向うところがある)修行をしているということと、思いなしにあるということとは違うんです。


思いじゃなくて、あるという事実に生きているということ、との違いがあるんです。


そこのところに、ただ、眼をつけていただければいいわけです。

景色だって右を向けば右の、左を向けば左の景色が、あったり、なかったり、今、ここから始まって、今、ここに終わる事実が、あったり、なかったりする。


ただ、それだけに徹頭徹尾参じてご覧なさい。

その他に方法も手段もあるんじゃないんです。

 


 

井上義衍老師の書籍 新刊案内

 龍泉寺参禅道場発行

 

送料が別途かかります 在庫がなしになり次第、頒布終了となります ご注意下さい

 

平成の今にも仏道を体現する数々の逸材・人材を遺されている井上義衍老師の貴重なる法話は200巻のテープ(すべてCD化もされている)に収められていて、すでに井上哲玄老師の手によって多くが文字起こしされて書籍になっているが、まだ未発表のものもある その未発表のものの中から、井上哲玄老師が自らの体験に基づき、修行の要点を選りすぐり、180日歳月を要してできた井上義衍老師語録の粋! 

それが、2014年3月2日刊行の

 『井上義衍老師語録』(発行人:井上哲玄,井上哲秀) 『玄魯随問記』(井上義衍老師問答集) とは別の本です

 「これ一冊で修行の要点がわかります」―井上哲玄老師

 

かばんに忍ばせることのできる文庫本サイズ、文字は大きめで読みやすい 271ページ

値段は、自費出版の為、3,000円

上記菅沼魯道居士の体験談も書いてあります 決着がついたのはその後ボットン便所に入っていて用を足していた時に起こったそうです

 

下記のフォームを使ってお申込み下さい

送料が別途かかります

2016年6月より事情により発送作業が週1回になりましたので、お申し込みのタイミングによっては、書籍到着までしばらくお待ちくださるようお願い申し上げます

https://ssl.form-mailer.jp/fms/9f80d2ea289099  ※

 

 

◯ 『無相傳光録』(2冊組 全 1,060ページ) 30,000円 (3万円) ※

『無相伝光録』は、後世に必ず伝えるべき傑作です

 曹洞宗大本山總持寺(そうじじ)御開山・太祖瑩山禅師(たいそけいざんぜんじ)の『傳光録』でんこうろく は、釈尊から道元禅師の弟子の孤雲懐奘(こうんえじょう)禅師までの直系53人の祖師方の 悟りの機縁(いかにして悟りを得たか)を記したもの それを井上義衍老師が提唱されたもの

付属の『伝光録』原本(明治時代の出版の復刻本)も入手困難な貴重なものです

 

井上義衍老師の二十三回忌法要にあたり、出版されたものです

かなり大部で、810ページの提唱録と250ページの和本原文 合計1,060ページ(明治時代の発行のものの復刻版)あります 300年保存可能な出口織特上製布製表紙装丁でさらに保存箱入り

 

意外に売れています 増刷はありませんので、今のうちに法財としてどうぞ

井上義衍老師の提唱部分は平易な文章で、本の一部だけ読んでも読めます (通読しないと分からない本ではありませんの意)

 

『無相伝光録』の一部をここに掲載しています

 

瑩山禅師の詳細は下記

 

 『夢想 第一集~第四集合本』 3,000円
 「只管、真の宗教とは、識中に自己を忘ず、大用現前規則を存せず、真の道人、正法眼蔵しょうぼうげんぞう現成公案げんじょうこうあん提唱、正法眼蔵辧道話べんどうわ提唱」

◯ 『夢想 第五集』 1,500円
 「一大事因縁、仏教の生命、信心銘提唱、参禅工夫の玄旨」
 
◯ 『夢想 第六集』 3,000円(在庫なしになりました)
 「人の真性、至道、般若心経提唱、趙州禅師語録提唱」

◯ 『夢想 第七集』 2,000円(在庫なしになりました)
 「仏教とは何か、親鸞聖人五ケ条要文提唱、本来成仏、花は花・月は月、参同契提唱」

 

 『心銘提唱』 3,000円 再版
 「牛頭法融禅師著『心銘』の提唱録」 (牛頭法融禅師の心銘を用いた提唱、35年ぶり《2017年時点》の再編集再販)

◯ 『玄魯随問記』(井上義衍老師問答集) 3,000円   光雲社1999年発行の単行本井上義衍老師『禅ーもう迷うことはない』の原本です
 「宗教の救いについて(20問)、悩み苦しみの実態、起因について(6問)、 仏道の真意について(7問)、如何にして自己の真相を知るかについて(23問)、坐禅の要訣について(12問)、義衍老師の歩みについて(10問)、義衍老師現代生活を語る(30問)」
光雲社『もう迷うことはない』は在庫なしになりました  
 
『玄魯隨問記(井上義衍老師問答集)』が、同じ内容の本です(「禅-もう迷うことはない」では、義衍老師の回答の一部が省略されている部分がありましたがこちらの方が詳しいです)


◯ 『良寛和尚「法華讃提唱録』上製本 8,000円 義衍提唱録刊行会(2,500円)のとは異なる(内容は同じです)豪華布張り上製本 良寛禅師の遺された『法華讃ほっけさん』の提唱録


◯ 『迷いと悟り(質疑録)』 3,000円  


◯ 『学道用心集提唱』 3,000円(在庫なしになりました)
 
 「永平初祖道元禅師著『学道用心集』の提唱録」

◯ 『仏道は自己なり(玄魯義衍老師門下 求道者の記録)』 3,000円(在庫なしになりました)

いくら老師から話を聞いても思い込みや先入観は恐ろしいもので、自分で正しい坐禅のつもりでも正しい工夫になっていない場合が往々にしてある  それでは何年真面目に修行しようが、らちがあかない 特に坐禅は目に見えないので要注意である

ある求道者が坐禅について質問したことで井上義衍老師が懇切丁寧にその間違いを正している 

 「真の道とは(遺稿)、自省の面目(遺稿)、仏道は自己なり、玄魯老師に捧ぐ、参師問法、功夫参禅弁道について如是我問、井上義衍老師の思い出、老師と龍巣院、無礙自在な老師の会話、人が人となる道、即今底、井上老師と私、義衍老師との出会い、ありがたいご縁、坐は不為なり、老大師様と私、老師の思い出、飄々とした後姿」


 
◯ 『光明蔵三昧』 3,000円(在庫なしになりました)
 「永平二祖懐奘禅師著『光明蔵三昧』こうみょうぞうざんまいの提唱録」

 (正法眼蔵随聞記を著した孤雲懐奘禅師の書)
 
◯ 『普勧坐禅儀・坐禅用心記提唱録』ふかんざぜんぎ・ざぜんようじんき 3,000円 (在庫なしになりました)  「永平初祖道元禅師著の『普勧坐禅儀 ふかんざぜんぎ』、總持開山瑩山禅師著の『坐禅用心記 ざぜんようじんき』の提唱録」 2018年3月現在再版検討中
 
◯ 『正法眼蔵・行仏威儀提唱』しょうぼうげんぞう・ぎょうぶついぎ 3,000円
 「永平初祖道元禅師著 正法眼蔵95巻のうち第6巻の提唱録」
 

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※瑩山紹瑾(けいざん じょうきん、1268年11月21日-1325年9月29日)は、日本の曹洞宗の第四祖

27歳 徹通義介禅師の指導の下、冬に大悟 詳細についてはこちら

石川門前町の總持寺祖院の開山となる  著作に『傳光録でんこうろく』など

(のち明治時代末期にこの總持寺は横浜鶴見に移転し、曹洞宗大本山・總持寺とされる)

一般には瑩山禅師と呼ばれる

宗派内では道元を高祖(こうそ)、瑩山を太祖(たいそ)と尊称する

曹洞宗寺院にはこの2祖が本堂や開山堂の須弥壇に祀られている


瑩山門下には四哲と呼ばれる明峰素哲(めいほうそてつ)、無涯智洪、峨山紹碩(がさんじょうせき)、壺菴至簡をはじめとする俊英逸材が多数輩出し曹洞宗興隆の基礎を固めた 特に、明峰素哲(めいほうそてつ)と峨山紹碩(がさんじょうせき)の門下からそれぞれ二十数人の嗣法者があり、峨山下には通幻寂霊(つうげんじゃくれい)(兵庫県三田市・永沢寺ようたくじ)などさらに逸材が輩出し、曹洞宗がおおいに興隆した 現在の曹洞宗寺院の60%は通幻派とされる

 

瑩山禅師は、浄土真宗の親鸞上人(道元禅師)に対する蓮如上人(瑩山禅師)にあたる役割をしたと言えよう


瑩山は積極的に門下の女性を住職に登用し、女人成道を推し進めた

(昔の仏教や伝統仏教では、女人禁制を敷いたり、女性は悟るのが難しいとされがちですが、中国や日本の禅の文献には、悟っているお婆さんが、未得道の修行僧を懲らしめる問答や逸話が多々あります 禅宗では女性も悟るのは当たり前のことです)

詳しくはこちらへ

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◯ 『空 華 (玄魯義衍老師遺墨集)』 5,000円
 「昭和60年4月2日龍泉寺において開催のもの」
 他に「平成元年5月14日~6月4日まで常葉美術館にて『禅僧遺墨展』が開催さ    れ、 遺墨集が出されている」
 
◯ 『井上義衍老師NHKテレビ出演DVD』5,000円
 「悟りを求めて」「生死を越える」「自己をならう」 の3回分
 
◯ 『玄魯義衍老師提唱録音カセットテープ(160巻)』一巻2,000円

 (文字化されていないものも沢山あります 希望者には内容送ります 無料)

 

義衍提唱録刊行会発行 (新宿・紀伊國屋書店店頭で入手できます)

21、信心銘(しんじんめい) 1,620円
22、良寛和尚法華讃 2,700円
23、井上義衍の無門関 (むもんかん) 上中下3冊セット 8,100円 (セット価格)
24、禅話プロローグ付親鸞聖人五ヶ条要文 1,620
25、辧道話 (べんどうわ) 2,160円
26、現成公案 (げんじょうこうあん)  2,160円

 

27、仏性 (ぶっしょう)  3,780円

義衍老師提唱録刊行会(埼玉県)発行のものは、東京新宿の紀伊國屋書店でも販売されていますが、龍泉寺発行の義衍老師書籍を希望の方は、一緒に、このページからインターネット注文が可能です

 

お薦めは道元禅師・瑩山禅師の坐禅の仕方をみずからの体験を基に詳細に井上義衍老師が説かれている

『普勧坐禅儀・坐禅用心記提唱録』3,000円 です

「これだけ坐禅について懇切丁寧に説かれているのは義衍老師以外にないでしょう」

―井上貫道老師 (この書籍は他の書籍と同様、井上貫道老師の寺院・少林寺には注文できません 

※印からご注文下さい)

 

『仏道は自己なり(玄魯義衍老師門下 求道者の記録)』 3,000円(在庫がなくなりました)

いくら老師から話を聞いても思い込みや先入観は恐ろしいもので、自分で正しい坐禅のつもりでも正しい工夫になっていない場合が往々にしてある

ある求道者が坐禅について質問したことで井上義衍老師が懇切丁寧にその間違いを正している 

 

送料が別途かかります

ご注文は下の※印URLまたは龍泉寺へ直接お願いします

配送は2016年6月より事情により週1回になりましたので、お申し込みのタイミングによっては、書籍到着までしばらくお待ちくださるようお願い申し上げます

 

掛川の少林寺(井上貫道老師の寺院)様では取り扱いがありません

 

 

井上義衍老師の書籍申し込みフォーム

十牛図提唱 曹洞宗・井上義衍老師

予告:井上義衍老師『十牛の図提唱』のDVDが発刊されました

井上義衍老師の音声データのみで、提唱中の映像のDVDではありません

3枚組 10,000円(十牛の図提唱のテープ8本分収録)

 

『十牛図』は中国宋代の臨済宗楊岐派の禅僧・廓庵師遠禅師(かくあんしおんぜんじ)によるものが有名

廓庵師遠禅師は、大随元静禅師(1065~1135)の法嗣で、六祖・大鑑慧能禅師より第十七代目 の法孫である

臨済宗ではよく提唱されるが、曹洞宗の師家が提唱することはほとんど聞かない

 

廓庵禅師は、十牛に分けているが、大乗仏教や禅は本来「頓悟」であって、漸悟ではない

果たして悟りに「段階」があるのか? ないとしたら、なぜ十牛なのか?

500年に一人と言われる井上義衍老師「十牛の図」は今まで未発表の傑作