井上哲玄老師の参禅者の体験談

井上哲玄老師に最近参じた新しい人の体験談 少しだけ

 

 

 

10. 「前回に続き、今回もご縁を頂けた事に感謝しています。

 

静かで穏やかな空間の中、

老師様のお話を

リラックスして聴かせて頂けた事、

本当に嬉しく、幸せに思っております。

 

生きる事の意味や、この人生の使命や天命を

探し求め続けてきましたが、

老師様との出合いで

今回、ようやく、その旅に終止符を打つ事が出来ました。

 

老師様が出された扇子に

私の求めて来た答えの全てがありました。

 

一期一会、、、

まさに、瞬間の出合いでした。

 

気が付けば、

老師様の言葉に

理解を超えた所から

涙が溢れていました。

 

この出来事は、言葉で表現できないくらい素晴らしい体験でした。

しかし、このような体験は、「私」がしようと思ってした事でも、前もって計画した事でもありませんでした。

突然、起きた事でした。

 

まさに、人生とは、日々とは、こういう事だったのです。

 

 

今回の禅会で改めて

ライブならではの空気感を感じました。

それは、きっと、触れたものだけへのギフトだと思います。」

 

 

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哲玄老師のことば

坐禅とは

Q.
どういうふうに坐禅していったらいいですか、これから。

A.
どういうふうにって、考えるからだめなんですよ。

だからこの身をともかく、ゴロンと置いとくだけ。

Q.
手付けずに置いとくだけ…。

A.
置いとくだけ。

Q.
それだけ…。

A.
それだけ。

 

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9. 

「老師にお会いするまでは、本山僧堂で、坐禅も掃除も修行なんだと聞かされていたのですが、掃除のときはどうも分からなかったんです。

 

数ヶ月前にはじめて哲玄老師のお話を聞いてから、

坐禅を多くするように努めていました。

 

ある時、掃除をしていた時に、フッ と楽になったのです。

それで初めて合点が行きました。

それから、掃除するのも同じだと分かりました (この言葉、本人の言とは微妙に異なっているかもしれません 記憶を頼りに記述していますので)

 

あの体験をもう一度してみたいです」

 

 

老師「もう一度体験したい? そう思っていると、無理だね」

 

      ―― 平成28年8月の攝心の時に本堂で臨時に哲玄老師のお話があった時のこと

 

 

 

 

 

 

 

 

1. [井上哲玄老師が、接心の時に話されたことから]

「NHKのこころの時代を聞いた人の中で二人だけが実際にお寺に訪ねて来られました

 

たった二人ですよ。。。

 

 

 

そのうちの一人は、[私に会って直接話を聴いたあと]

 

扇子のどちらが表かの話で[片面に文字の書いた扇子を広げて、どっちが表ですか?]、

 

自分はよく分からないし、

 

 

坐禅はどうも自分には無理だと自分で勝手に判断したのでしょうね、

 

 

扇子を広げて、どちらが表なんだろうかと、扇子をひっくり返して、ずっとやっていたって言うんだよね

 

 

 

午前中ずっとやっていた。。。

 

そしたら、「ハッ!」と気付く所があったらしい

 

 

 

その人、その体験の後は、自分には無理だと決めつけていた坐禅に取り組むようになって、

 

ある時などは、気がついたら5時間も坐禅をしていたそうなんですよ

[自力ではない坐禅、坐禅が坐禅をしている状態]

 

 

この人、たった半日だけなんですよ 言われたことを実際にやってみたのは

 

 

 

 

この体験は見性(悟り)ではありません 

 

 

まだ途中辺の事(とちゅうへんのじ)ですが、修行が正しく進んだということです

 

温めたり冷やしたりして沸点まで行かないのは、勿体ないですね亅

 

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2.

 

 

「8月のこころの時代を録画して、

 

2ヶ月の間に100回聴いた人もいますよ。

 

 

なかなか100回聞けないですね。」

 

[この人、以来、遠方から井上哲玄老師の話を聞きに来ている]

 

 「でも、回数じゃないんですよ」

 

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3.

[体験談ではありませんが]

 

「テレビを見た人や、動画を見た人っていうのは、

 

ほぼ、わたしの話を分かっていませんね

 

分かった人は100%いないと言っても良いくらい

みんな誤解している

 

 

メディアに出たり、動画を載せてもらったりしているのは

 

実際に会いに来て話を直接聴く人が一人でもいればということだけなんですよ」

 

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4.

「ある女性は、テレビ放送を見るまでは、親の介護で、本当にいっぱいいっぱいで、
息をつくことも、自分のことなど何も出来ないほどだったらしいです。

この人、哲玄老師のテレビ放送『こころの時代』を見て話を聞いた途端、『そうかぁ~!』 と急に楽になったらしいんです。

今までの苦労やこれからの心配が一遍に吹っ飛んだ


で、私のお寺に会いに来られた。


それから、ほどなくして、電車に乗っていて、窓から景色を見たある時に、今までのことがさらに明確になったらしいんです。

テレビを見てすぐですよ、このような体験があったのは

 

 

修行に時間がかかるという人は、結局人の話をちゃんと聴いていないということなんだね

 

 

でも、こういう体験も、大事に記憶に取っておいたり、あのような体験をまたしたいとか、またしようとしたら、考え方のほうに行きますから、事実からずれてしまいますよ

 

 

[後日談:この方は、体験のあった次の年の新年つまり平成27年の正月3日間はずっと自宅で坐禅をしていたとのこと。正月休みが明けて職場に行ったら、感冒の流行で休業になったので、さらに2日間また自宅で坐禅三昧だったとのことです。合計5日間です。

 

禅宗の専門僧堂で20年修行したという僧侶だって、道場でみんなと一緒に7日間の接心は楽勝にできますが、5日間も連続で自宅で1人で坐禅するというようなことはなかなかできません]

 

上記の人は「坐禅中に本当に何もしていない」⇒坐禅しても疲れない⇒何日でも1人で坐禅し続けることが出来た

のだと思われます。

 

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5.  修行方法が理として理解できて、

 

本当に自分でも信じられて、

 

正しく修行したら、

 

体験が出ない方が、おかしいんてすよ  

 

                                                        ― 哲玄老師(2015年1月27日大阪禅会)

 

 

6. 新着 ある男性は、職場のことで悩んでおられたのですが、井上哲玄老師に相見されて、色々と法を尋ねられました。

 

その後、2ヶ月も経たないある日、夜自宅で風呂に入って、出てきて脱衣場の鏡に写った自分の姿を見て、気づかれました。

 

その人は「チラッと見ただけですよ」と言われていました。今なお修行中です。

 

 

 

7. 新着 接心中のことです 初参加の人が、哲玄老師のお話中に、気づかれました。

じっと話を聞いていたら、気づいたとのことです。

ただ、「今はもうその体験どこかに行った」と30分後くらいにはそう言われていました。

 

老師にそのことを話すために食事後に老師に尋ねられました 「もう少し詳しく聞かせて」と老師に言われて、別室で独参をされました。

帰ってきて、気づいたことを色々と個人的に話されていましたが、聞いている人は無言でした。

 

あとその方は、「気づきがあった後、お話の途中に皆さんの顔を見たら、全然老師の話を聞いていませんね」と言われていたことが印象深いです。

ほとんどの参禅者は、また同じ話だと思ってしまうものです。 なので、聞いていない。

 

なお、哲玄老師に独参中に、また気づきがあったそうです。

その人「自分がなくなっています 自分は無いのですが、身体はあります 以下略」

老師「そりゃそうですよ、自分がないというのは、身体がなくなるということではありません ……」

 

 

その人「修行に後退はありますか?」

老師「後退しますよ。 だから油断していてはいけないので。 後退しないところまで行くまでは」

 

 

そう言えば、哲玄老師がよそのお寺で提唱中に、大悟されたお坊さんがおられたそうです。

この方は、提唱中に咳をしては失礼だと一生懸命こらえていたのですが、たえられず咳をしてしまった時に、見性されたのです(それまで井上貫道老師の提唱を何回か聞いておられて、その時は哲玄老師の番だった)

 

何でお坊さんになったのに、本当のことが分からないのだろうかという長年の憤懣と疑問が一瞬にして解決してしまったそうです。

偶々、哲玄老師と一緒におられる時に、この僧侶にお会いしたことがありますが、物腰のすごく柔らかい方でした。

 

長年道場で厳しい修行をしてもなんともならなかった和尚が、貫道老師や哲玄老師という正師のお話を聞いて正しく理解できた途端、開悟された。

正しい修行法を聞くことの大切さが分かります。

 

 

 

8. 新着 [この方はチラッと気づかれた方です]  分かってみりゃよく分かります、みなさん間違ってますな
老師の言うことを、みなさん、まったく聞いとらんということですわね
自分の考えで老師の言葉を聞いてるだけっちゅうか・・・

 

 

 

 

以上の方々の体験談を掲げましたが、

決して、だれの体験なのかという詮索はおやめください(修行者はそのようなことはしなくていいことです)

よろしくお願いいたします

 

 

一般的に言って、ちょっとの体験(一瞥の体験とか小悟とか)でもとてもインパクトがあり、色々と分かってしまったり、問題が解決してしまったり、今まで苦しんでいた問題がなくなって楽になったりするので、それで安心してしまって、修行をそこで小休止してしまう人もあるようです

 

またそのような体験があると、その素晴らしい体験を人に伝えたいと、その時点で人の指導を始めるような方も世の中にはいます。

しかし、正師の指導を受けたこの方々の場合は、後戻りのしない決着のついた老師方がすぐ傍におられるので、自分の立ち位置が分かっています。

従いまして、自らの体験を吹聴したりすることはありません。まして、人に真理や修行方法を教えるなどということはないのです。